静岡のひと

静岡に来て初めて乗ったタクシーの運転手さんが言っていた。
「静岡のひとは、のんびりしているんです。愛知やなんか、他の県から競合の会社が入ってくるとたいてい負けちゃいますね」
七年ほど経った今でも、この言葉を憶えている。

思えば、このとき初めて聞いたのだった。以来静岡で暮らすしているとなにかにつけて耳にする、「静岡のひとは」というワード。
静岡のひとたちは、この言葉が好きなのだと思う。冒頭の運転手さんも、内容とは裏腹に、どこか楽しそうに話していたっけ。

県外出身だ、と静岡のひとに話すと、たいてい
「静岡はどう?」
と聞かれる。「静岡は良いところでしょ?」と言外に尋ねられているのだろうと思う。
「静岡は暖かくて暮らしやすいし、食べ物も美味しいし、良いところですね」
と答えると、一様に「そうだろうそうだろう」という顔をする。

静岡のひとたちは、静岡が好きなのだ。
そして、大好きな静岡が、外のひとたちからどう思われているのか、楽しみにしている。
たとえネガティブなイメージを持たれても、あっけらかんとしている。
東京や名古屋から来たひとに、
「静岡ってなにもないじゃん」
と言われても「だって静岡だもん」と、ちっとも怒る素振りを見せずに笑っている。

「静岡には、なんにもないけど、なんでもある」
静岡に来て七年。いろんなひとが静岡のことを教えてくれた。その中でも私がいちばん好きな言い方だ。誰が言っていたのか定かではないけれど、強く印象に残っている。

なんにもない、と外からのイメージを受け入れながら、なんでもあると胸を張れる。
「静岡のひとは」と言うとき、静岡人の口調にはどこか誇らしげな響きが混じる。自分が「静岡のひと」であることに、アイデンティティを感じている。

私は、そんな静岡のひとたちが羨ましい。だから、ちょっとだけ真似をしてみることがある。「静岡のひとはね」と。

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